1970年代、青山学院大学の音楽サークルから誕生したサザンオールスターズ。
彼らの結成秘話やデビューに至るまでの道のりは、音楽業界全体にも大きな影響を与えました。
本記事では、サザンオールスターズがどのようにして生まれ、どんな過程を経てスターダムへと駆け上がったのかを、背景や人物のエピソードも交えながらご紹介します。
- 青山学院大学の音楽サークル「BetterDays」での出会い
- 結成に至るまでの波乱と成長
- ヤマハ「EastWest」コンテストでの受賞が転機に
- 桑田佳祐と原由子、プロポーズ秘話と名曲誕生の裏側
青山学院大学と音楽サークル「BetterDays」

当時の日本では歌謡曲が主流でしたが、若者の間ではフォークソングやロックが人気を集めていました。
青山学院大学の音楽サークル「BetterDays」は、そんな時代背景の中で音楽を自由に楽しむ場として機能していました。
このサークルで出会ったのが、桑田佳祐、原由子、関口和之、松田弘ら現在のサザンオールスターズの主要メンバーたち。
彼らはこの場所で音楽を共有し、互いの個性や音楽性を高め合う中で、自然とバンド結成の流れへと進んでいきます。
結成からデビューまでの道のり
音楽サークルでの活動を経て、桑田佳祐を中心としたバンドが本格的に動き始めます。
しかし、最初から順風満帆だったわけではありません。
メンバーの入れ替えや方向性の違いによるサークルの分裂など、数々の困難に直面していました。
そんな中で、宮治淳一さんによって「サザンオールスターズ」というバンド名が命名され、メンバーもようやく固定。
1977年にはヤマハ主催のコンテスト「EastWest」に出場し、桑田佳祐がベストボーカル賞を受賞。
これがビクターとの契約につながり、彼らの運命が大きく動き出します。
デビューと「いとしのエリー」誕生秘話

1978年、「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューを果たしたサザンオールスターズは、その個性とエネルギッシュなサウンドで一気に注目の的に。
その裏では、桑田佳祐と原由子の間で私的なドラマも進行していました。
実は、デビュー前から交際していた二人。
一度は別れ話が持ち上がるも、桑田佳祐のプロポーズで関係が修復され、その想いが結実した楽曲が「いとしのエリー」でした。
この楽曲は、日本のポップス史に残る名曲として知られ、サザンオールスターズを国民的バンドへと押し上げる原動力にもなりました。
まとめ
サザンオールスターズの結成は、青山学院大学での音楽サークル活動を原点とし、メンバーの出会いと幾多の試練を乗り越えて形作られました。
ヤマハ「EastWest」コンテストでの評価、そして「勝手にシンドバッド」や「いとしのエリー」などの名曲によって、彼らは音楽界の第一線に立つこととなります。
そして何より、桑田佳祐と原由子という実力派アーティスト同士の愛のストーリーは、バンドの音楽と人間性をより深く彩るエピソードとして語り継がれています。
サザンオールスターズは、時代と共に進化しながらも常に新しい風を吹き込み、日本の音楽シーンに欠かせない存在であり続けています。
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